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森はどこにある?

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山ではない森

子供の頃、「森」に行ってみたいと思っていた。アニメや童話の中にしょっちゅう出てくる「森」だ。

現実世界のどこかにあるに違いない。 「森はどこにあるの?」と、父に訊くと、山を指した。確かに、木がたくさん生えているからそれも森だろう。しかし何かが違う。私は山も好きだったが、山と森は何かが違う気がした。

私が探していた「森」は平坦な場所になくてはならないのだ。私の実家は田舎だったので、平地に数十本程度の木が生えている場所ならいくつか存在した。しかし、それでは小さすぎる。私はそんな小さな木の群生を見ては「あれは森じゃない。林だ。」と呟いた。

残念ながら、日本にはグリム童話に出てくるような平らな森が、ほぼ、ない。日本の平らな土地はすべて人間の生活圏として切り拓かれ、木々は斜面である「山」にしか残っていない。

森と山の違い

私にとって森と山の違いはなんだったか。ここで考えてみたい。

山に分け入るということは、登頂を目指さずとも、「山頂」という到達点を常に意識することである。それは重力に逆らい、急な斜面を意思の力で克服していくプロセスでもある。目標の達成を登山に例えることが多いように、明確な意識的行為なのだ。

さらに山は方向性がはっきりしている。登れば山頂に近づき周囲を見渡すことが出来るようになり、下れば麓(ふもと)の人里へと帰れる。加えて、日本の山の原生林に入るためには「藪漕ぎ(やぶこぎ)」、つまり鎌やナタをつかって自らの手でヤブを切り開いていかねばならない。これもまた、非常に意識的な行為である。

しかし、森は違う。どこまでそれが続いているかを認識することは不可能である。斜面がないために、フラフラとどこまででも入り込んでいける。そして時に出られなくなる。下れば確実に家に帰れる「山」とは違うのだ。グリム童話に出てくる「森」とはそういう場所である。

森の深さ

グリム童話の森を「無意識の世界」として解釈することが多いのは、ヨーロッパの森の持つこの「迷い込める」特性からきている。深い森の奥には、なにか得体のしれないものが存在しているような恐ろしさがある。対して、山は常に「登る」しかない。そのため、人里を離れた山奥であっても、そこは努力の末に行き着く「高い」場所であって、「深い」という感覚とは決定的に違う。

もっとも、現在では深海のような暗く恐ろしい森は、本場のヨーロッパにもほとんど残っていない。近代以降、森は整然と木々が植林された管理下にある公園となり、人々が森林浴を楽しむ安全な場所となっている。

日本で唯一の森

しかし実は、ヨーロッパでさえ消失してしまったその「恐ろしい森」が、日本には一つだけ存在している。そこは、今となってはメルヘンの舞台としてノスタルジーの対象となっている森とはわけが違う。現役の「恐ろしい森」である。

その森とは、青木ヶ原樹海である。あそこが昔から特殊なオーラを身にまとい続けているのは、日本には珍かった「森」だからではなかろうか。富士の裾野にあり完全に平坦とは言えないまでも、冷え固まった溶岩の起伏が方向感覚を奪い、人をフラフラと深い森の中へ迷い込ませる。

「山ではない森」には、「高さ」ではなく「深さ」がある。そしてその深さは、常に目標や到達点を意識させられる現実社会において、良くも悪くも特別な意味をもたらしているのだ。

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