MENU
カテゴリー

ジャズの聴き方がわかった

最近になってジャズの聴き方がわかった(と思う)。

ジャズは、最初にテーマとなるメロディが演奏され、真ん中にアドリブのソロが挟まれ、最後にまたテーマが演奏されるというパターンになることが多い。

最初と最後の「テーマ」はその曲の中心的なメロディが演奏される部分である。ジャズの名曲と呼ばれるもののほとんどはテレビCMなどどこかで耳にしたものが多いが、それは普通この「テーマ」の部分だけである。ここだけを聴くと「良い曲だなあ」と思ったりするのだが、問題は大部分を占める「ソロ」である。ここの演奏も「テーマ」をもとにしてはいるものの、テーマとは違うメロディをプレイヤーが代わる代わる出てきて演奏する。アドリブなのでセッションごとに違ったものが生まれる。

しかし、このソロの部分はよくわからないのである。特に初めて聴く演奏だとひたすら退屈である。その退屈に耐えて、ようやく最後のテーマに辿り着いた時の喜びはひとしおだ、とも言えるが、演奏時間の半分以上を退屈するのもおかしな話である。

ある時ふと思いついて、演奏そのものではなく、演奏によって作り出される雰囲気に意識を向けてみたことがあった。すると、ほとんどの曲の「ソロ」を楽しめるようになったのである。「音」自体は意識せず雰囲気を楽しむのである。音についていこうとしてはいけないのである。音によって作り出される雰囲気を感じるのである。

ジャズは演奏を遅らせたり早めたりすることによって、正確なリズムの前後を行ったり来たりする。これによって正確なリズムとの間に「」ができる。これは物理的な重みのある物体が、リズムに合わせようとして遅れたり行き過ぎたりすることによって起きる「」である。

そしてその物理的な重みのある物体とは我々の身体のことである。もちろん、正確なリズムに合わせて体を動かすこともできるだろう。しかしそのためには体の重みを抑え込んで、リズムというルールに合わせていく必要がある。

しかし本来、物体には慣性があり、重ければ重いほどスピードに乗るのには時間がかかる。そのためにリズムに乗り遅れてしまう。だから遅れた分を取り戻そうとしてスピードを上げる。そして追いつく。しかし、これまた慣性のためにブレーキが間に合わず先走ってしまう。こうした身体の重みに起因する揺らぎのことを、「スイング」というのだと思う。

ジャズはその中に体の重みを組み入れている音楽なのである。重みとは物理的な存在そのものである。つまり、ジャズの「」には体の居場所を作り出す作用がある。音楽が居場所が提供するということはつまり、雰囲気を作り出すということである。ジャズがBGMとして使われるのはおそらくそういうことである。日本の音楽市場におけるジャズの割合というのは微々たるものらしいが、バーやカフェなどのBGMがジャズである割合はかなり高い。

有名な話だが、村上春樹は小説家になる前はジャズ喫茶の経営者であった。処女作である「風の歌を聴け」は、ジャズ喫茶の営業時間が終わったあと、夜中にコツコツと台所で書き上げたものだという。

「風の歌を聴け」には様々な「」がある。<三番目に寝た女の子>にまつわる「語られない過去」、「僕」の感情表現の欠落、登場人物同士のわかり合えない距離、そして、ページ上の文と文の間の印字面の余白。言葉にされない「」や「余白」が要素として巧みに組み込まれた小説である。

ジャズが好きでジャズ喫茶を経営しているから、ジャズ的な小説を書いてやろうと思って書いたのか、それともジャズが好きな人の表現は意図せずともこうなるものなのか。いずれにしてもその余白には私達と私達の想像力の居場所がある。村上作品についての評論の中でもっとも数が多いのは「風の歌を聴け」についてのものらしい。処女作だからというのもあるだろうが、それだけではなかろう。

  • URLをコピーしました!
目次