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思考停止を生むもの

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行きたくないプレイセラピー

10年近く前に会っていた成人のクライエントさん(Aさん)のことである。Aさんは小学生のころに、何年間か教育相談所のプレイセラピーに通っていたという。プレイセラピーとは主に小学生以下の子どもさんが通うカウンセリングの一種で、主に遊びを介して心理治療を行うものである。親子で来られて、親御さんはまた別の保護者担当のカウンセラーと話をする(保護者面接)のがオーソドックスなスタイルである。

しかしAさんは、「親に連れられて通っていたけど、本当は行きたくなかった」と話された。

カウンセリングでもプレイセラピーでも、基本的にカウンセラーとは一対一で会うので、小さいお子さんは親御さんから離れるのを嫌がって泣くこともある。しかし、一度プレイルームに入ってしまえば、玩具がいっぱいあるし、カウンセラーはずっと遊びに付き合ってくれるしで、時間になっても帰りたがらなくなるお子さんは多い。

だからもし、2~3回通ってそれでもお子さんが行きたがらなければ、そのまま何も考えずに通わせ続けるのは良いことではない。カウンセラーはお子さんの様子を見て、あまり乗り気でなさそうならばそのことを真剣に考えねばならないし、「ここ来るの、あまり嬉しくない?」とお子さんに問いかけることも必要である。そうすればポツポツとそれについて話してくれるものである。それによって理由がわかるということだけではなく、そういうふうに気持ちを語れること自体、その子にとって大きな進歩であることが多い。

良い気持ちにしろ嫌な気持ちにしろ、それを表現できれば心理療法の意味はある。

冷たくて信用できない世界

しかし、Aさんはそのどちらでもなかった。数年間、相談所に通ったが、プレイセラピー中はカウンセラーが怖かったため、いつも自分の方から笑顔で話をし続けたのだという。そしてカウンセラーの何気ない一言やちょっとした表情に傷ついたことをよく憶えていた。

その話を聞きながら、私は恥ずかしさと罪悪感で頭皮からは汗がどっと出て頬を伝うのを感じた。もちろん私はそのカウンセラーではない。しかし、これがどうしても他人事とは思えなかった。

子供の頃のAさんは、セラピーの時間を埋めるためだけに話をしていた。そのため、その態度は落ち着きがなく、内容はまとまりのないものになり、カウンセラーはどこに軸をおいて話を聞いたら良いかわからなかっただろう。カウンセラーはこう考えたのではないだろうか。

「この子は発達障害傾向があるようだが、そこまで深刻ではない。そんなに気合を入れて会わなくてもよいだろう」

そういうふうに思うようになると、その子につぎ込むべきカウンセラーのエネルギーは、もっと大変そうな子たちに向けられるようになる。しかし、見るからに大変そうな子たちは「大変なんだ!」と助けを求めることができていたのに対して、Aさんはそれができなかった。Aさんの目に映った世界はもっと冷たくて信用できないものだった。

発達障害というラベリング

かつて、私がプレイセラピーをしていた頃にも同じように「発達障害傾向があるが、そこまで深刻ではない」と考えた子が2~3人いた。その子達が全員、実は発達障害ではなかった●●●●●●●●●●●●かどうかは定かではない。しかしその中にAさんのように、生育環境によって大人を信用できなくなっていた子がいたとしたどうだろう。大人を信用できない子どもは、子どもであるという自分の無力さと相まって大きな不安を抱えている。だから本当は大人に頼りたい気持ちが、強く、ある。

つまり、笑顔の向こうから、私は品定めをされていたことになる。

もし私が彼らの目にかなう相手だったなら、彼らは真実を語ってくれただろう。 しかし、私が結局彼らを『軽い発達障害傾向』としか思えなかったということは、彼らは私に対して最後まで口を閉ざしたということであり、私は不合格だったことになる。見立てを誤った私に傷つけられ、大人になってもそのことを思い返しているかもしれない。私の頭皮からどっと汗が吹き出したのはそういうことが頭を駆け巡ったからである。

子どもは無力であるがゆえに不安定な環境で育つと、その環境を安定させることに力を注ぐ。頑張って笑顔でいたり、道化を演じたりすることで、雰囲気を和やかなものにしようとする。そして、そういう境遇の子ども達の何割かは自分の欲求を満たすことよりも、自分が危害を加えられないことを優先していく。そして、人は恐ろしいものであるという信念をずっと持ち続ける。

もちろん、そうした子どもがプレイセラピーに来たら、カウンセラーはその不自然さに気づく。そうした子は落ち着きがなかったり、話があっちこっちに飛んだりするからである。しかし、それをその子が置かれている環境によるものと判断されることは、今は殆どなくなっている。つまり、まずは、生まれつきのもの・発達障害(傾向)によるものというふうに考えるようになってきてしまっている。

思考停止を生むもの

「発達障害」という視点によって救われる子達もいる。しかし、このように広く知られて、支援制度も整備されたラベリングはカウンセラーの思考停止を生む。この視点によって、表面的には仕事を効率的に片付けることができる。親御さんや学校にすぐに納得してもらえて、対立が生まれにくいのだ。そして、その障害を受け入れて、工夫しながら無理のない範囲で学校生活を送るということを目標にすることになる。全ては「発達障害」というラベリングを軸に行えば良く、カウンセラー側の迷いは無い。

ここで「発達障害」を脇において、それ以外の要因を考えようとするならば、収集しなければならない情報の範囲はぐんと広がる。それには、すぐに手に入れられる情報のみならず、子どもさんや親御さんから一定期間通ったあとにようやく話される内容や、時間をかけて注意深く観察し、話を聞くことによってしか得られないカウンセラー側の見立ても含まれる。

その結果、「発達障害」が主要因ではないということになれば、今置かれている環境の改善が求められる。そうなれば親御さんのカウンセリングもいつも和やかなものになるとは限らない。ラベリングで終わらないので、迷いも生じる。このようにして、カウンセラーの仕事量は数倍に増える。しかし、それによって得られる成果が数値として現れることはない。

つまり、Aさんのような「見過ごされる子ども」を生まないようにするための構造としては、現状は極めて不利なのである。しかし、それでもなおその不利を引き受けようとする姿勢が、カウンセラーという仕事には求められているはずなのだ。

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