
40年以上前から「パソコン」は存在していた。
当時、富士通のFM-7というパソコンをテレビCMでよく見かけた。起用されていたのはぴっちりセンター分けの30代のタモリであった。
あの頃のパソコンとはいったい何だったんだろう、と、この分野が進化するたびに私は振り返ってしまう。漢字はおろか平仮名の入力もできない。アプリケーション一つ立ち上げるにも5分以上かかる。にもかかわらず、当時はどのパソコンも「趣味にも勉強にも使える」との触れ込みであった。しかし、趣味については、パソコン自体が趣味の人の期待にしか応えられなかったはずであるし、勉強に関してもコンピューター言語の学習以外に使うのは不可能だった。
このように断言できるのは私自身がパソコンを所有していたからである。FM-7ではない。シャープのMZ-2200というマイナーなパソコンである。当時のパソコンはWindowsのような共通したOSがなかった。つまり、ソフトウェアはそれぞれのパソコンの機種ごとにそれ専用のものが作られていて、富士通のパソコンのソフトは、シャープのパソコンでは動かなかったし、同じメーカーのものであっても機種が違えばソフトの互換性がなかった。
つまり、私が買ってもらったMZ-2200がマイナーであったということは致命的なことであったはずである。しかし、互換性という視点が欠落していたのは私だけではなかった。パソコンを持っている友人は多くなかったが、友人AはPC-6001Mk-Ⅱ、友人BはPC-8001Mk-Ⅱをそれぞれ所有しており、見事にバラバラであった。同じ機種を買えばソフトの貸し借りが出来たはずである。またAのお父さんもパソコンを持っておりそれはFM-7であった。ちなみに「PC」はNECの製品で、「FM」は富士通の製品である。
ソフトについて言うならば、当時の8ビットパソコン向けに販売されているタイトルのほぼすべてがゲームであった。かと言って、ゲームの種類もそれほど多くはない。加えて私のMZ-2200はマイナーな機種であるから、対応したゲームも少なかった。モニター合わせて20万円のパソコンを買ってもらったは良いが、ゲームしかやることがない上に、その肝心のゲームも少なかったのだ。
まだある。1983年という年は、任天堂から初代ファミコンが発売された年でもあった。今のゲームと比べてしまうと、初代ファミコンのゲームは極めて素朴な代物である。ところが、これが当時のパソコンのゲームのレベルを軽く超えていたのである。ファミコンが本格的に普及するのは発売後1~2年経ってからで、友人宅でやったのもその頃だった。たしかマリオブラザーズだった。とても楽しかった。当時、ファミコン本体は1万4千円ほどだった。
20万円のMZ-2200はサイズも大きかった。モニターも後方に50センチほどの出っ張りがあり、私の部屋で実に大きな存在感を放っていた。
私がMZ-2200を選んだのは、当時のパソコン雑誌の広告に「拡張性」という言葉が踊っていたからだ。私の予測では最先端の技術によってなにか素晴らしいことが出来るはずで、それは世の中の技術革新と共にどんどん進化・拡張していくはずだった。そして事実、「パソコン」をはじめとする電子機器は、その後、途方もない進化・拡張を遂げていくことになる。しかし当のMZ-2200は高価なオプションパーツを追加しても、特に出来ることが増えるわけではなかったし、それは当時の他のパソコンを選んでいたとしてもさほど変わらなかった。
そんないい加減な事前情報で20万もするパソコンを買ってもらえるなんて、家が金持ちだったに違いないと思われるかもしれない。しかし、決してそうではない。ここのところは話せば長くなるので割愛するが、親子関係の内情にあまり触れない角度から漠然と表現するならば、親も私同様、何かわからないままに期待していたのだろう。おそらく私が最先端のテクノロジーをマスターしてくれるのではないか、そしてまともな大人になってくれるのではないかと。
それくらい、当時のコンピューターとは実態のわからないものだった。まさしくそのコンピューターの進化の先にあるのがインターネットであるわけだが、このインターネットが存在しない時代は、個人の欲する情報はなかなか手に入りづらかった。
1983年のパソコンは何も出来なかったがゆえに、ピュアな期待ばかりがたくさん詰まっていた。