夢占いと夢分析の違い ー実例編ー

ここでは梶原まさゆめ氏の「梶原まさゆめの夢占い.主婦の友社」を題材に、夢占いと夢分析の違いをお話していきたいと思います。

この本の中で著者、梶原氏は自身のところに寄せられた100以上もの夢を解釈・コメントをされています。私もそれらの夢を拝読しましたが、私の解釈が梶原氏のものと全く違ってしまうものもある一方、部分的に同じもの、ほとんど同じになるものもあり、夢占いと夢分析は完全なる別物として単純に区別できるものではないことがあらためて確認できたと感じております。

ここではこの「梶原まさゆめの夢占い.主婦の友社」から、一つの夢を選び出して分析することで、夢分析とはどうやって行うかを紹介していきたいと思います。

目次

遊園地の夢

以下は20代男性の見た夢とのことです。

どこか山の上にあるような遊園地に着いたようです。僕はその遊園地の通路を歩いています。右手には大きさのそろった石が積み上げられていて、見上げるとゴンドラが回っているようです。左手はがけになっているようです。澄んだ空がそろそろ夕暮れを迎えそうです。僕はおみやげをさがしているみたいです。人をかき分け、おみやげをさがします。とても必死に、とてもあせっています。と、店の端にバス停がありました。「早く帰らなくちゃ」と、まもなくバスがすべるようにやってきました。ツートンカラーの小さなバスでした。そのバスに近づこうとした瞬間「がしゃん!!」という音を立て、バスの側面が石垣に激突したのです。そのすさまじいぶつかり方に生存者はいないと思いましたが、「助けろー」という声でバスに向かい、ちょうど運転席の乗降口から車内に入った。そしたら、案の定、すべての乗客は接触した側の座席に無惨にも叩きつけられていて身動き一つしませんでした。死んでいましたが、血は流していませんでした。運転手のひざには封筒が残されていました。とっさに運転手の自殺だと思い「なんで! なんでみんなを巻き込むんだ!」と泣き叫び、目が覚めました。

梶原まさゆめ.梶原まさゆめの夢占い(p.285).主婦の友社.Kindle版.

梶原氏による解釈

梶原氏の解釈です。

遊園地は現状のストレスが極端に高まっている状態を反映しています。遊園地の乗り物を見ているのは、気分転換や思い切った休息をとりたいこと、その願望を強く反映しているようです。夕暮れの風景は、一時的に体力や運気が低迷している状態をあらわしているようです。プライベートな人間関係にも華やかさがなく、自分自身が気分的に弱っていることをあらわしています。バスが小さいのは、あなたの仕事の許容範囲や限界を超えて、非常に無理をしている状況を反映していると思います。バスが激突し帰れなくなるのは、さらにあなた自身を安定させるための手段をなくすこと、つまり時間的にも精神的にもリラックスできる手段を断たれてしまう状況をあらわしています。あなただけでなく、周囲の人たちもまたストレスや疲れがピークに達していることを暗示、このままでは、実際に組織の運営に支障をきたす事態に陥る可能性があります。バスの運転手は、あなたの組織や部署の責任者や上司を象徴しているようです。事故死に関するイメージは、基本的に自分自身の現状を変えたいことの強いあらわれです。拝見した夢の状況には不可抗力といった状態をよく映しているようです。あなたは周囲にあまり愚痴をこぼさないでがんばっているのかもしれません。

梶原まさゆめ.梶原まさゆめの夢占い(p.286).主婦の友社.Kindle版.

夢を見た人からのリアクションです。


 正直言ってご判断には驚きました。僕は職場では専門職として働いているのですが、職場のシステムが変わるため、自分の仕事とは別に、そのシステムの推進委員までやっています。最近は土日もなく、働きずくめの毎日です。部署内の人間関係も思わしくないです。部長からのワケのわからない仕事の押しつけも断ることができず、理不尽だと思いながらも息を殺して仕事をしています。気持ちよく仕事をしたことは入社して一度もありません。今、僕は実家を離れてひとりで住んでいます。住みづらいところです。家に帰ってももちろんだれもいません。心があたたまる場所がありません。
***お正月は仕事で実家に帰ることができないかもしれません。近いうちに仕事を辞めて別の道に歩みたいなーとずっと前から思っています。夢ってここまで自分の思っていることを反映し、またそれが客観的に評価できるものなのですね。

梶原まさゆめ.梶原まさゆめの夢占い(pp.286-287).主婦の友社.Kindle版.(「***」の意味は不明で原文のまま)

この夢を選んだ理由は、長さがあり、複数のシーンから構成されていること、また、梶原氏の解釈と私の解釈が適度に違うことから、夢占いと夢分析の違いを紹介するという意味でも適切なものと考えたからです。

ここではこの夢を見た20代男性を「Yさん」と呼ぶことにします(”YUME”の頭文字です)。

Yさんは、梶原氏の解釈に驚いています。自分自身を取り巻く現実を言い当てていると言います。実際、この本の中には梶原氏の夢解釈に「的中していて驚きました」という人が何人も出てきます。

しかし、カウンセリングでそのような現実の話題を扱うならば、夢ではなくそのまま現実のことを話してもらいます。カウンセラーが夢を聴かせてもらうのは、その人の現実を知りたいからではなくその無意識を含めた「心」を知りたいからです

夢分析

さて最初に言った通り、カウンセラーの観点からすると、この夢は良い夢です。

人が死んじゃってるのに良い夢って・・・

夢分析の観点からするとハッピーな夢が良い夢とは限りませんし、悪夢が悪い夢とも言い切れません。夢は無意識からのメッセージですので、そのメッセージを夢を見た人が受け入れているというのが、この夢が良い夢である理由です。メッセージを受け入れることによって、夢を見た人の心が成長し、今の苦しみを乗り越えることができる。そういう夢です。

もし相談者からこの夢を聞かせていただいたら、私は梶原氏ほどは多くコメントをしないと思います(どんなコメントをするかについてはこの記事の最後の方で触れようと思います)。でも、この夢が良い夢であるという結論に至るためには、たくさんのことを考える必要があります。

ここではこの夢を考えていく手順をお話します。

手順その1 疑問点を探す

まずはこの夢を読んでおかしなところを挙げていきましょう。

夢におかしいところがあるのって普通でしょ?

その通りです。「夢のおかしいところ」は「間違ってるところ」ではありません。おかしなところに着目するのは、そういったところにこそ夢の大事なメッセージがあるからです。

①Yさんが歩いている「通路」、右手には大きさの揃った石が積み上げられていて、左手は崖です。一般に遊園地で人々が歩く場所は、広々としたイメージがありますが、この夢では石垣と崖に挟まれた危険な道のようです。なぜ遊園地なのにそんな危険な通路なのでしょう?

②Yさんは「とても必死に、とてもあせっています」と言っています。なぜYさんはそこまで必死になってお土産を探しているのでしょう?

③お土産を見つける前にバス停を発見して、Yさんは「早く帰らなきゃ」と思います。あんなに必死になってお土産を探していたのに、Yさんはなぜ「帰る」となったらお土産を忘れてしまうのでしょう?

④バスが来ます。しかしそのバスは事故を起こしてしまう。しかし、それは非常に不思議な事故です。つまり「すさまじいぶつかり方に生存者はいない」というほど激しく側面から石垣にぶつかっている。一般に自動車は真横には動きませんから、激しく側面からぶつかることは難しいはずです。なぜバスは側面から激しくぶつかるなどといった奇妙な衝突をしたのでしょう。

⑤バスの中に入ると、すべての乗客が死んでいることがわかります。しかし、なぜ乗客は血を流していないのでしょう?

手順その2 シーンごとに分ける

疑問点と共に大事なことは、夢をシーンごとにしっかりと分けることです。その1シーン1シーンはそれぞれが一つの夢であると考えることも出来ます。

長い夢を観たはずなのに1シーンしか思い出せないことがよくあるよ

そういう経験をした人は多いと思います。長い夢の中のほんの一部に思えるその1シーンですが、そこだけでもその時の無意識からのメッセージの大筋が表現されていると考えて良いのです。ただし、1シーンだけだと解釈が難しくなります。それは以下の理由からです。

無意識は一つのメッセージを、色んなシーンを見せることによって繰り返して伝えます。つまり、昨晩3つのシーンの夢を見たとして、それらのシーンが伝えようとしているメッセージ内容は同じである場合が多いのです。

シーンは違うのにメッセージは全く同じなの?

そうですね。全く同じというわけではないですが、同じ構図を繰り返しながら変化していくパターンが多いと思います。そのため、それらのシーンの共通する構図を探していくことで、根拠の多い解釈が可能になります。

つまり、1シーンだけの夢だと

「こういうふうにも解釈できるし、ああいうふうにも解釈できるし・・・」

と色んな可能性がありすぎるので、漠然とした解釈になったり、そうした可能性を一つに絞ろうとして、独断的な決めつけになりがちなのです。

この夢には4つのシーンがあります。この4つのシーンに共通する構図を見つけ出していくことで、メッセージ内容が絞られてきます。

以下、一語一句を外国語を読むようにじっくり読んでみてください。すべての単語が大切な意味を持っていると言っても過言ではありませんが、アクセントを付けるために登場物だけを太字にしてみました。

シーンA
❝どこか山の上にあるような遊園地に着いたようです。僕はその遊園地通路を歩いています。右手には大きさのそろったが積み上げられていて、見上げるとゴンドラが回っているようです。左手はがけになっているようです。澄んだ空がそろそろ夕暮れを迎えそうです。

梶原まさゆめ.梶原まさゆめの夢占い(p.285).主婦の友社.Kindle版.(太字は筆者)

シーンB
❝僕はおみやげをさがしているみたいです。をかき分け、おみやげをさがします。とても必死に、とてもあせっています。

梶原まさゆめ.梶原まさゆめの夢占い(p.285).主婦の友社.Kindle版.(太字は筆者)

シーンC
❝と、の端にバス停がありました。「早く帰らなくちゃ」と、まもなくバスがすべるようにやってきました。ツートンカラーの小さなバスでした。そのバスに近づこうとした瞬間「がしゃん!!」という音を立て、バスの側面が石垣に激突したのです。そのすさまじいぶつかり方に生存者はいないと思いましたが、「助けろー」という声バスに向かい、

梶原まさゆめ.梶原まさゆめの夢占い(p.285).主婦の友社.Kindle版.(太字は筆者)

シーンD
❝ちょうど運転席の乗降口から車内に入った。そしたら、案の定、すべての乗客接触した側の座席に無惨にも叩きつけられていて身動き一つしませんでした。死んでいましたが、は流していませんでした。運転手のひざには封筒が残されていました。とっさに運転手の自殺だと思い「なんで! なんでみんなを巻き込むんだ!」と泣き叫び、目が覚めました。
梶原まさゆめ.梶原まさゆめの夢占い(p.285).主婦の友社.Kindle版.(太字は筆者)

手順その3 シーンごとに構図を見つける

次に、それぞれのシーンで、共通する構図を探していきます。
信じられないかも知れませんが、これら全てのシーンに共通する構図が見つかります。この夢の素晴らしいところは、それぞれのシーンが共通する構図を描きながら、最終的に強烈なメッセージとなってYさんを捉えているところです。

※以下、夢だけを読んでの解釈ですので、さしあたって抽象的な解釈になります。実際の夢分析は現実のことをとりあえず脇においておくことが大切なのです。しかし、そうすると人によっては非常に分かりづらく感じられる可能性があり、それも困りますので、その場合はこの後出てくる「形のあるもの」とはYさんにとって現実には何なのかを事前に理解しておくのが良いかもしれません。ご覧になりたい方だけ右の▼をクリックしてください。

夢の中の「形のあるもの」とは、現実では「仕事」「職業」「地位」などの、目に見える社会的なポジションのことです。

シーンA


どこか山の上にあるような遊園地に着いたようです。僕はその遊園地の通路を歩いています。右手には大きさのそろった石が積み上げられていて、見上げるとゴンドラが回っているようです。左手はがけになっているようです。澄んだ空がそろそろ夕暮れを迎えそうです。

梶原まさゆめ.梶原まさゆめの夢占い(p.285).主婦の友社.Kindle版.(太字は筆者)
危険な道

ここには「2つのものが対立している」という構図が2つあります。

対立構図の1つ目は、通路石垣に挟まれていることです。通路の右側に行けば石垣があります。左側に行くとそこはです。とは地面が唐突に無くなっている場所ですから、その先にあるのは巨大な空間です。

Yさんは、「形のある硬くて明確な存在(石垣)」と「形のない巨大空間(崖)」に挟まれた通路を歩いていると言えます。山というのは殆どが斜面ですから、頂上方向を見れば固くて明確な存在(山の斜面)が見えますし、振り返って下の方を見ると巨大空間が見えます。ですので、山は殆どの場所で、その通路のような対立構図があると言えます。

構図1

石垣―形がある―  VS  巨大空間(崖)―形がない―

参考画像(この写真の右側は石垣ではありませんし、左側は崖というより斜面です。また夢で道は「通路」と表現されていましたが「通路」というとこの写真よりもっと狭いものを想像します)
危険な時間帯

もう一つの対立は、「夕暮れを迎えそう」な頃合いです。夕暮れとは昼と夜の間です。そのため今度は時間帯が「昼」VS「夜」という対立をはらんでいると言えます。先程の「石垣」VS「巨大空間(崖)」に加えて、同じシーンで2つの対立構図が確認できるというわけです。

「これら2つの対立構図には共通する部分があるかも知れない」。そう考えて先ほどの「形がある」・「形がない」を昼と夜に当てはめてみます。すると、昼は明るいので物がはっきりと見え、反対に、夜は暗いので物の形が見えないという特徴が浮かびます。昼に比べて夜は物の明確さが失われ、たとえば、幽霊のような輪郭のハッキリしない何かが出ると言われたりします。

したがって・・・

構図2

昼(形がある) VS  夜(形がない)

という対立構図が読み取れます。

ということで、先程の疑問点に答えます。
①なぜ遊園地なのにそんな危険な通路なのでしょう?
(答え)Yさんの心が、「形のあるもの」と「形のないもの」とに挟まれているからです。

石積み(石垣)の上の方を見るとゴンドラが回っています。これは観覧車ということで良いでしょう。この観覧車だけ、シンボル解釈が必要な部分です。観覧車を無視してもこの夢の解釈は可能ですが、シンボル解釈によってより深みのある解釈が可能になります。

しかし、観覧車のシンボル解釈は、構図による解釈が終わってから行うことにしましょう。

シーンB

僕はおみやげをさがしているみたいです。をかき分け、おみやげをさがします。とても必死に、とてもあせっています。

梶原まさゆめ.梶原まさゆめの夢占い(p.285).主婦の友社.Kindle版.(太字は筆者)
焦りの理由

Yさんの心は「形がある」と「形がない」に挟まれています。しかし、時間帯はこれから夜になり、暗くなって形が見えなくなっていきます。時間経過はYさんを「形がない」の方向に否応なく引っ張っていきます。そして、Yさんが必死になってお土産を探しているのは、お土産が「形あるもの」だからです。

②なぜYさんはそこまで必死になってお土産を探しているのでしょう?
(答え)夜になって形が失われて行く前に、形のあるものを手に入れようとしているのです。

構図3

お土産(形がある) VS 夜(形がない)

「人」と「お土産」

また、Yさんは「人をかき分け」お土産を探しています。つまり、この時点のYさんにとって「」は単なる障害物でしかない。夢ですから、知らない人と何かの拍子に友情や愛情が芽生えることだってあって良いのです。しかし、Yさんは「人波」や「人流」という表現があるように、「」を相対的に形のないものとしてスルーし、それよりも形のハッキリしたお土産を探し求めているようです。

構図4

お土産(形がある) VS 人々(相対的に形がない)

シーンC

と、の端にバス停がありました。「早く帰らなくちゃ」と、まもなくバスがすべるようにやってきました。ツートンカラーの小さなバスでした。そのバスに近づこうとした瞬間「がしゃん!!」という音を立て、バスの側面が石垣に激突したのです。そのすさまじいぶつかり方に生存者はいないと思いましたが、「助けろー」という声バスに向かい、

梶原まさゆめ.梶原まさゆめの夢占い(p.285).主婦の友社.Kindle版.(太字は筆者)
バス停の発見

必死になってお土産を探していたはずなのに、バス停を見つけると「早くお土産を買わなきゃ」から「早く帰らなきゃ」に気持ちが切り替わってしまいます。このことからもお土産は家族などに持って帰るためのものではなかったことがわかります。家に帰るということは、夜になって物が消えていくこの世界から脱出することです。それができれば、お土産は必要ないのです。

③Yさんはなぜ「帰る」となったらお土産を忘れてしまうのでしょう?
(答え)帰ることによって、この世界から脱出できればお土産はいらないからです。

ストーリーの中心の交代

バスが登場すると、ここから夢のストーリーはバスとその中の人々が中心になります。Yさんはそれを目撃するという形で出演しています。この夢の中でYさんは乗客を助けるためにバスの中に乗り込んでいくなど、とても積極的な目撃者です。

僕、夢の中で映画を観てたことがあるよ

そういう夢もありますね。いずれにしても言えるのは、映画やテレビやYouTubeの中の映像であっても、夢に出てきたものは全て自分の心の中のものということです。

夢は目を閉じて眠っているときに見るものです。目を閉じているということは、自分の外部を見ることが出来ないということです。そのため、夢に出てくるものはすべて心の内側に存在するもので、心の一部なのです。

ツートンカラーのバス

さて、やってきたバスは「ツートンカラー」です。2つの色が対立しています。

いやいや、バスの色は関係ないんじゃない?

夢の中ではいろんな部分に同じ構図が出てきます。シーンごとに共通する構図があると言いましたが、共通する構図は夢に登場する一つ一つの物にも現れることがあります。

そもそも路線バスのボディは2色以上が一般的です。ですので路線バスを見て「ツートンカラーのバス」と言う人はあまりいません。わざわざ「ツートンカラー」と言うということは、Yさん自身も2つが対立している構図にどこかで感づいているということなのでしょう。

すっごくツートンっぽいツートンだったかもしれないよ

確かに、「これぞツートン」といったコントラストの強い2色を半々くらいの面積に塗ってあるバスという可能性もあります。Yさんが感づいていた場合にしても、バスが激しくツートンカラーであった場合にしても、この夢において「2つが対立しているという構図」にアクセントが置かれているのは間違いないと言えるでしょう。

参考画像
構図5

バスの一方の色 VS バスのもう一方の色

奇妙な事故

そしてバスは側面から石垣に激突します。それはYさんが「生存者はいない」だろうと感じるほど激しい衝突です。しかし、車(バス)を側面からそこまで激しく衝突させるのは物理的に難しいことです。

バスが激突したのは石垣です。この夢の中で石垣が登場するのはシーンAに続いて2度目です。そして、シーンAでは石垣の反対側にがあり、シーンCのこの場面ではがあるとは書かれていません。しかし、この場面でも石垣の反対側に崖があったと考えられます。

うーん、崖があるとは書いてないのに?ちょっと強引なんじゃない?

そうですね。まず根拠としては、夢では同じ構図が繰り返されることが多いので、「石垣の反対側は崖」という構図が繰り返されていると考えられることが一つ。もう一つは、舞台が山ですから、山では上り斜面の反対側には下り斜面があるのが一般的だということが挙げられます。

まあ、たしかに山道の片方が石垣だったら、もう片方は下り斜面か

ですので、ここでシーンAと全く同じ構図が再び出現していると言って良いと思います。

構図6

石垣―形がある― VS  巨大空間(崖)―形がない―

そして、石垣の反対側に(巨大空間)があると考えると、石垣に側面から激突する奇妙な事故が起きたことの説明がつきます。

つまり、この前のシーンBでYさんは形のなくなる夜を恐れてお土産を必死に探していました。同様にシーンCでバスという形のない巨大空間を恐れ、形を求めた。つまり石垣と一体化しようとしたのです。バスが「側面から激しくぶつかる」などという物理的にほぼ不可能な動きをした理由は、Yさんが必死にお土産を探していた理由と同じなのです。Yさんもバスも形あるものを求め、バスは事故を起こしてしまったのです。

④なぜバスは側面から激しくぶつかるなどといった奇妙な衝突をしたのでしょう。
(答え)空間を恐れて形あるものを求めるあまり石垣と一体化しようとしたから。

「助けろー」という声

激突を見たYさんは「生存者はいない」と思います。しかし、ここで「助けろー」という声が聞こえます。先ほど、夢に出てくるものはすべて夢を見た人の心の一部だと言いました。つまり、ここで「生存者はいない」と思うのもYさんですが、「助けろー」と言ったのもYさん自身の心の声です。

「助けろー」の声は、より深い無意識から聞こえてきた言葉と言えるでしょう。それまで、Yさんは「」に興味がなかったのです。だから、バスの事故を見たときは「生存者はいない」とあっさり諦めたのです。また、お土産を探しているときに「」は単なる邪魔者だったのです。

そして、そのYさんが無視してきた「」もYさんの心の一部です。心の中にはいろんな要素があります。お土産を探すためにかき分けた「」も、バスも、バスの運転手も、乗客も、心の中の色んなYさんなのです。つまり、バスの中に入るまで「」に興味がなかったYさんは、自分の心の中に色んな部分があることを無視していたということなのです。

しかし、「助けろー」の後、Yさんは人々を助けるためにバスの中に入っていきます。バスはYさんの心です。Yさんは自分の心の中に入っていくのです

シーンD

ちょうど運転席の乗降口から車内に入った。そしたら、案の定、すべての乗客は接触した側の座席に無惨にも叩きつけられていて身動き一つしませんでした。死んでいましたが、は流していませんでした。運転手のひざには封筒が残されていました。とっさに運転手の自殺だと思い「なんで! なんでみんなを巻き込むんだ!」と泣き叫び、目が覚めました。

梶原まさゆめ.梶原まさゆめの夢占い(p.285).主婦の友社.Kindle版.(太字は筆者)
バスの中

Yさんはバスの中に入ります。すると「すべての乗客は接触した側の座席に無惨にも叩きつけられて」います。外から見えたのと同様、ここでも横への動きが激しかったことがわかります。同時にここにも対立の構図があったことが示されています。つまり「石垣側の座席」と「その反対側の座席」です。

構図7

石垣側の座席 VS その反対側の座席

もう少し考えてみましょう。バスが側面から石垣に激突したら、もともと石垣側に座っていた人たちは、座席ではなくバスの窓や内壁にぶつかるはずです。なのにここでは「すべての乗客は接触した側の座席に無惨にも叩きつけられて」と書かれています。

ということは接触した側、つまり石垣側の座席に乗客は1人も座っていなかったということになります。これも不自然ですよね。ですからここにも意味がある。つまり、運転手は「形あるもの」を求めて石垣側に寄っていったが、乗客は誰一人としてそれを求めていなかったのです。

構図8

運転手(石垣と一体化したい) VS  乗客(石垣から離れたい)

Yさんの「なんでみんなを巻き込むんだ!」という言葉は、このような運転手乗客の意思の違いをも考慮に入れると、より一層強い意味を帯びてきます。

石垣に激突したバスを外から見ていたYさんは「生存者はいない」と一括りにして片付けようとしていました。確かに生存者はいませんでした。しかし、バスの中に入ることによって、運転手乗客を巻き込んで起こした事故であったということがわかります。つまり、乗客には運転手とは別の意思があったにもかかわらず、運転手が強引に乗客を巻き込んでしまったのでした。

バス停を発見するまでのYさんも、「形あるもの」を求めてお土産を必死に探していました。石垣に激突したバスはYさん自身の姿です。そしてYさんはバスに乗り込むことによって、自分自身の心の中に入ったのです。そこには運転手として表現された「形あるもの」を求める存在を確認し、同時に乗客として表現された「形あるもの」を求めていない部分の存在を知ったのです。

運転手は空間を恐れるあまり形あるものに近寄りすぎて、他の部分を巻き添えにしてしまった。それを知ってYさんは「なんでみんなを巻き込むんだ!」と泣き叫んだのです。

消えた血

Yさんは血が流れていないことに気づきます。すごい観察力です。現実ならともかく、夢の中で人々が倒れて動かなくなっているのを見れば、血の存在は気に留めない人が多いのではないでしょうか。

これは「形あるもの」を求めた結果として訪れた死であるがゆえに、「」という形のない液体は排除されてしまったということでしょう。Yさんはその死の意味を無意識的に知っていたから、「血」の存在にこだわったのでしょう。

そしてまた、運転手の膝の上に残されていた封筒。これは遺書ということなのでしょうが、遺書は逆に「気持ち」という不定形なものに形を与えたものです。

⑤なぜ乗客は血を流していないのでしょう?
(答え)事故は「形あるもの」を求めた結果であるため、という形のないものは排除された。

実はみんな生きている

夢に出てくるものはすべて夢を見た人の心の一部だと言いました。しかし、バスの中の人はみんな死んでしまいました。それはYさんの心が死んでしまったということなのでしょうか?

いいえ、違います。

考えてみてください。なぜYさんはこんな見ず知らずの乗客たちのために泣き叫んだのでしょうか。

Yさんが乗客達に同情したからでしょうか。

いや、そもそもこれはYさんの夢ですから、同情どころか、乗客たちは最初からYさんの一部なのです。いわば乗客たちはYさんの別人格なのです。

つまり、もともとYさんの心の中にいて日の目を浴びなかった乗客たちが、【Yさんという乗り物】の運転席に座り、「なんで私達を巻き込むんだ!!」とYさんを泣き叫ばせているのです。乗客とはこれまでYさんが無視してきた人々です。

それまでのYさんは心の中に複数の人がいるにもかかわらず、事故を起こしたバスの運転手の気持ちしか知らなかったのですから、これはものすごい変化なのです。

血も消えていない

乗客たちはYさんの中でパワーアップしてよみがえり、Yさんを泣き叫ばせました。

また先ほど、事故が「形あるもの」を求めて起きた結果であるために、形のないは失われたと書きました。しかし、ここで消えたも、Yさんが泣き叫んだ時の「涙」として生まれ変わり、溢れ出してきているといえます。

運転手も死んではいません。「なんでみんなを巻き込むんだ!」という言葉は運転手に向けて放ったものです。ということは、夢のストーリー中では死んでいても、【Yさんという乗り物】の中で運転手は生きているということです。

バスの中の人々はYさんのなかで復活し、生き生きと自己表現し始めたのです。

かつてのYさんは自分の中に運転手の気持ち、つまり「形あるもの」を求める気持ちしか意識していませんでした。だからこそその人が運転手だったとも言えます。しかし、Yさんが自分の中に別の気持ちが存在すると知った今、【Yさんという乗り物】の行動は一人が独裁的に決めるのではなく、色んな気持ちがその都度話し合いながら決めていくことになっていくでしょう。

そして、そのことはYさんの生き方が変わるということなのです。

手順その4 シンボル解釈

さて、ここまで構図によって夢を解釈してきました。すでに夢の大半は解釈されたと言っても過言ではありません。

ただ、夢の序盤に出てくる観覧車(ゴンドラ)について、かなり目立つ存在であるにもかかわらずこれまで触れてきませんでした。

これまで見てきたように、夢の中ではシリアスなストーリー展開がありました。しかし、観覧車はそのドラマが起きた場所よりも一段上に存在し、超越的な印象を与えています。そのため、これまで考えてきた構図の中にこれを位置づけることが出来ませんでした。

実際こうした明らかに円形のものは、シンボルとしては際立ったものです。これの意味を踏まえることによって夢の全体の意味が深みを帯びてきます。『夢占いではシンボルで解釈し、夢分析では構図によって解釈をする』と「夢占いと夢分析の違い-説明編ー」では言いましたが、それはあくまで相対的なものであって、実は夢分析においてもシンボル解釈は重要な手段です。

ただ、いきなりシンボル解釈を持ち出してしまうと、どうしても独断的な印象になります。また、シンボル解釈だけで夢を理解しようとすると、シンボル以外の部分を切り捨てがちになるというのも良くないところです。ですので、まず構図による解釈を試みて、「それでも解釈に組み込めない部分を理解する手段の一つ」程度に扱うのが堅実なやり方だと考えます。

観覧車(ゴンドラ)とは何か?

観覧車(ゴンドラ)は、ぐるぐると回り続ける乗り物です。形は円形です。
円形とは中心から同じ距離の一本の均等な曲線だけで構成されており変化が全くありません。

そのため「統合」や「調和」のシンボルでもあり、さらには、凹凸が全くないため「完全」のシンボルでもあります。

また「円」とは何かを回転させたときに描かれる形です。そしてその「回転」とは同じ場所で廻り続けることです。「回転」は移動とは異なり、スタート地点やゴール地点が存在せず、ずっと動き続けることが出来ます。地球の自転・公転を考えてもらえればわかりやすいと思います。その意味で円は「永遠」のシンボルでもあります。

いろんな意味がありすぎてわけがわからないよ

わかりにくいですよね。もう一度最初から整理しましょう。

まず、この夢の中で出てきている観覧車は、人類が共通して持っている、ある心の要素を表現しています。

これを心の要素Xエックスとしましょう。

この心の要素Xには「統合」「調和」「完全」「永遠」などの特徴があります。そしてそれをビジュアル化するならば「円」や「観覧車」になるということです。

まあ、何となくわかったかな

心の要素Xは言葉じゃないから、「統合=integration」みたいに一対一で対応してないんだね

そうです。外国語を日本語に訳しても複数の意味になることがありますが、心の要素はもっと幅広い意味を持っていて、どれか一つの意味に絞ることができないのです。

夢の中の観覧車

観覧車は夢のほぼ冒頭に出てきます。「遊園地についたようです」とありますが、おそらくYさんは観覧車を見てそう判断したのではないでしょうか。

観覧車は先ほど説明した心の要素Xのシンボルです。その特徴は「統合」「調和」「完全」「永遠」です。

ちょっとちょっと!夢の雰囲気とぜんぜん違うじゃん

そう、この夢自体は「焦り」「不安」「怒り」「悲しみ」がいっぱいな上、これまで見てきた通り、対立がたくさんあります。心の要素Xはその正反対です。

梶原氏が解釈で「遊園地は現状のストレスが極端に高まっている状態を反映しています(p.286.前掲書)」と述べていますが、確かにこの心の要素Xは、よく苦しい思いをしているときに出てくるものです。しかしそれは苦しい状態の「反映」というより、心のバランスを保つために出てくるものと考えられます。

私たちは、大変なときに「神様仏様」と言ったりしますが、心の要素Xの登場はそれと似ているのです。

確かに、「完全」とか「永遠」ってちょっと神様っぽい

心が一方にかたよりすぎたとき、夢の中にそれとは反対のものが出てきたり、達観するものが出てきたりすることがあります。これを無意識の補償ほしょう機能と言います。

ここで心の要素Xのメッセージを敢えて言葉にするなら「今の困難は長い人生の中のほんの一部ですよ」「苦しいときもあれば楽なときもありますよ」といったところでしょうか。

Yさんが観覧車を見上げたとき、同時に空が目に入ったのでしょう、「澄んだ空がそろそろ夕暮れを迎えそうです(p.285.前掲書)」と言っています。そして夕暮れの先にある夜を恐れて、Yさんはお土産を必死に探し始めるのです。

しかし、観覧車と同じように地球も回ります。夜が来たら朝が来て昼が来てまた夜が来て朝が来る。ずーっと夜ではないのです。

いやー、本当に苦しいときはなかなかそんな達観は難しいと思うよ

でも「自分の中に心の要素Xがあるんだ」と思えれば、少しだけ勇気が出る気がする。

冒頭に出てくるこの観覧車はこれから始まる苦しいストーリーを優しく見守ってくれている存在と言えるでしょう。

夢と現実のつながり

シンボル解釈は「独断的・恣意的になりやすい」と言いました。

しかし、それ以上に夢の正確な解釈を妨げる要因があります。それは夢の登場物をすぐに「現実」に当てはめてしまうことです。夢は心の中の出来事であって、現実を再現しているわけではありません。夢を解釈するときは現実の状況を括弧に入れて、夢だけを解釈することが大切なのです。

ここまで一度も現実に触れずに夢だけで解釈してきたのはそういう理由からです。人によってはとても分かりにくかったと思いますが、実際の夢分析のやり方をお伝えするためには、このようにする必要がありました。

そして、本来の夢分析はすでに終わっています。これで終わりなのです。夢は夢として理解し、無理に現実に当てはめないほうが良いのです。

分かりにくいよ!!

まあ、そうですね。夢を見た人に解釈を伝える場合でも、夢だけの解釈ではなかなか分かりづらいとは思います。

「形のあるもの」とは何か

夢の中の「形のあるもの」とは、現実では「仕事」「職業」「地位」などの、目に見える社会的なポジションのことです

Yさんの(梶原氏への)お返事を読むと、お仕事が忙しく、休みもない状態のようです。部長からの理不尽な仕事を押し付けられたり、部署内の人間関係も良くなかったり、仕事に対してYさんは決して良いイメージを持っていません。にもかかわらず、土日も働きづめで、システムの推進委員までやっています。

Yさんは優秀な人なのでしょう。そのためたくさんのお仕事を任せられてしまう。しかしYさん自身、仕事から離れることを恐れていたのではないでしょうか。梶原氏は「不可抗力」として、今の状態にYさんの責任はないというようなニュアンスのことを言っています。しかし、仕事を辞めることや一定の距離を取ることはYさん自身の決断で出来たことではないでしょうか。

近いうちに仕事を辞めて別の道に歩みたいなーとずっと前から思っています。

梶原 まさゆめ. 梶原まさゆめの夢占い (p.287). 主婦の友社. Kindle 版.

Yさんは転職を「ずっと前から思っている」にもかかわらず、まだ実行していないのです。転職とは今の明確な役割や立場を捨てて崖から飛び降りるような勇気が必要な行為です。これまで築いてきた土台を失い、ある種の空白に身を委ねる行為です。

そして、夢の中のバスの運転手はその空白を恐れ、そのハードすぎる仕事の方に没入していったことで身を滅ぼしたのです。しかし、Yさんはこの夢を見たことによって、バスの運転手的な自分だけではなく、「ずっと前から」それ以外の道に進みたいと思っている自分(バスの乗客)がいたことに気づいたのでしょう。

この夢はある種の予知夢だったとも言えます。夢は「このままでは仕事に没入しすぎて死ぬことになる」と警告しているのです。それは働きすぎで体を壊すことかもしれませんし、精神的な疲労で鬱になることかも知れません。そして夢はその警告とともに、Yさんの中に今の仕事から距離を取りたい気持がすでにあることも伝えているのです。

ですので、Yさんが最後泣き叫んだ時のセリフを現実に当てはめると「今の仕事から距離を取りたい気持をなぜ無視したんだ!」ということになるでしょう。この夢を観たことによって、こうした自分自身の心をYさんはしっかりと受け止めざるを得なかったはずです。

考えてみれば「夢」などというものは、現実社会においては非常に不確定で曖昧なものです。「夢」とはYさんにとって明らかに「形のないもの」です。土日も関係なくバリバリ働いているYさんが、夢を丁寧に文章にして、しかも梶原氏に占ってもらおうと思ったこと、それ自体がすでにYさんにとって大きな変化を表していると考えられます。

Yさんはこの後どうなったのかな?

Yさんはこの夢を観て、転職したかもしれません。あるいは石垣から一定の距離を取るように、仕事に没入しすぎないようにして、無理のない範囲で今の仕事を続けていったのかも知れません。いずれにしてもこの夢を観たYさんには良い変化が起きたのだろうと思われます。

夢を見た人にどう伝えるか

この記事の目的は、夢分析の手順を伝えることでしたが、同時にできるだけたくさんの根拠を持って解釈するように務めました。そのため非常に長い記事になってしまいました。

実際にカウンセラーとして夢についてコメントをする場合、この記事で書いたようなことすべてを伝えることはしません。ここに書いた夢分析は、夢を見たYさんの視点と比べると理屈が先行していて無駄に長いものです。また、これは私達のような他人が理解するために必要な視点ですが、Yさんの感じた本物の生々しさがありません。

夢を受け入れるというのは、Yさんがそうであったように感情を伴うことです。Yさんの感情を伴った視点をシラケさせるような客観的視点を伝えるのはこの夢の場合、控える方が良いのです。

ですので、もし私がYさんにコメントをするとしたら以下のようになるでしょう。

「バスの中に入ったのはすごいですねえ。頑張りましたねえ」
「運転手の自殺だったんですね。お客さんは巻き込まれちゃったんですね」
「ほかの乗客は大迷惑でしたね」

あたりでしょうか。

これだけじゃあカウンセラーの存在意義が無くない?

Yさんがバスの中に入ったこと、その結果Yさんが泣き叫ぶことになったこと、それによってこれ以上無いくらいにYさんは夢を味わっています。それだけで十分です。カウンセラーの存在アピールはときに相談者の邪魔になることがあります。

ただ、もしシーンAとBだけの夢だったら話はちょっと変わってきます。つまり・・・

どこか山の上にあるような遊園地に着いたようです。僕はその遊園地の通路を歩いています。右手には大きさのそろった石が積み上げられていて、見上げるとゴンドラが回っているようです。左手はがけになっているようです。澄んだ空がそろそろ夕暮れを迎えそうです。僕はおみやげをさがしているみたいです。人をかき分け、おみやげをさがします。とても必死に、とてもあせっています。

梶原まさゆめ.梶原まさゆめの夢占い(p.285).主婦の友社.Kindle版.

ここまでで夢が終わっていた場合です。

この場合、私なら「焦っていた理由は分かりますか?」といった質問をすると思います。すでにこの理由については上に書いたように「夜が来るから」だろうと私なりの解釈はあるのですが、Yさんはそうは考えないかも知れません。その場合、私の解釈は脇において、Yさんの話をしっかり聞きます。場合によっては私が間違っていたことが判明するかも知れません。そうした覚悟を持ってお話を聴くことが大切だと思っています。

こんなに長々と書いてきた解釈が間違いって・・

その可能性もゼロではありません。なので自分の解釈に固執せずに、しっかりと耳を傾けなければなりません。必要とあれば私の解釈をお伝えして意見をうかがいます。そうすると「そっちの方がしっくりくる」と言われたりすることもあります。

あるいは私の予測どおりに「夜が来るのが怖いから焦っています」と言われた場合、なぜ夜が来るのが怖いか、どんなふうに怖いかなどを聞いて、Yさんにとっての夜の怖さを私自身も味わおうとするでしょう。

そうして夜の怖さを私も十分感じ取れたならば、その上で「空は澄んでいるみたいですから、夜になると星は綺麗かも知れませんね」などと言ったりするかも知れません。

夜になっても何も見えなくなるわけではないのです。手を伸ばせばすぐに触れられるようなものだけを頼りにしていると、時に人は生きる方向を見失ってしまいます。そして星は古来から人々に方角を示してきました。手の届くところにある仕事に没入するだけではなく、星を見るように人生をもっと大局的に見ていくことも大切なのです。

終わりに

この夢はYさんにとって間違いなく大切な夢ではありますが、その一方、Yさんという人の一側面でしかありません。人の心とは広大で複雑なものですから、一つの夢は沢山ある視点のなかの一つからその人の心をビジュアル化したものと言えるでしょう。

ただ、ここでお伝えしたかったことがもう一つあります。それは夢分析のみならずカウンセリング全般に言えることですが、「カウンセリングとは人の心を作り変えるものではない」ということです。

夢を観ることによってYさんに起きたであろう変化とは、Yさんが「もともと持ってはいたけれど気づいていなかった心の部分」に気づき、それを受け入れることによって起きた変化です。

カウンセリングも同じです。外側から矯正したり、新しいものを植え付けたりするものではありません。自分の中にすでに存在するものに気づき、受け入れる。カウンセリングとはそのお手伝いなのです。

さて、夢占いと夢分析の違い-実例編-はこれで終わりです。もし、この長い記事を最初から最後まで読んでくださった方がおられたら感謝感激であります。

最後になりましたが、引用させていただいた「梶原まさゆめの夢占い」の著者・梶原様、そして夢を提供された20代男性の方、本当にありがとうございました。

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