受け入れがたい現実(エッセイ)

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電車内での光景

ちょっと遅目の出勤で電車に乗っていた。

電車が都会の大きな駅に停まると、70歳くらいの男性と女性が乗ってきた。乗り込んだのは女性が先で、男性はその後に車椅子を持ち上げて乗り込んできた。座席は空いておらず、女性はつり革を持って立った。私は彼女がホームから電車に乗り移る瞬間は見ていなかったが、しゃんと立っている姿は車椅子が必要なようには見えなかった。しかし男性は車椅子を持ち上げて乗り込んできたわけで、彼女以上に足腰はしっかりしているはずであった。

ドアが閉まり、電車が動き始めた。私はそれとなく二人を見ていた。どちらかが車椅子を利用しているのなら女性であろう。しかしこの二人、お互いに全く言葉も視線も交わすことなく2メートル近く距離を取っている。二人はたまたま同時に乗り込んできた赤の他人だったのだろうか。

男性は動き始めた電車内で車椅子のストッパーを下げ、向きを微調整し、その上にあったブランケットを整えた。それが終わると、いかにも自分一人で電車に乗っているといったふうにキョロキョロと周りを見回した。一方彼女は、つり革に捕まった状態で真っ直ぐ窓方向を向いて動かない。一瞬だけ、車椅子の方に目線を走らせたことがあったものの、その目つきは怒ったような鋭いものであった。

電車を降りる二人

15分ほどが経った。とある駅が近づき、電車はスピードを落とした。男性は車椅子のストッパーを上げた。私は女性のいたほうを見たがそこにはいなかった。彼女はいつの間にか一人で少し離れた座席に座っており、小さなバッグのファスナーを手早く閉めているところだった。やはりこの二人は一緒に降りるのだ。やがて電車が完全に止まると彼女は立ち上がり、スムーズな動きで開いたドアに向かって歩いてきた。ドアの脇には彼がいるが彼女は相変わらず無表情である。しかしホームに降りる直前、彼女はほっそりとした左手を彼の方にサッと出した。すでに車椅子を先にホーム上に降ろしていた彼は当たり前のようにその手をとって彼女を支え、二人は電車を降りた。

なぜあの二人は赤の他人のように振る舞う必要があったのか。

ここからは私の想像である。

想像したこと

彼女は一定以上の距離を歩いたり、電車を乗り降りするのが困難な状態であったのだろう。ただし、数メートルの距離ならスムーズに歩けた。だから電車内では脚が悪いことを他の乗客に悟られずにいることも出来た。しかし、車椅子を利用していることが知られれば、自分の脚が悪いことはバレてしまうし、そうすると席を譲る人も現れるかも知れない。そしてそれを見て「車椅子があるならば車椅子に座れば良いじゃないか」と思う人もいるかもしれない。でも、電車内で車椅子に座って大勢の人の視線を浴びたくない。だから車椅子と自分との関係、また車椅子の近くに居る彼と自分との関係も周囲に悟られてはならない。・・・そう考えると、彼女ができるだけ彼や車椅子から距離を取ろうとしていたことの合点がいく。

想像はさらに続く。女性が電車内で車椅子に座ることを嫌がったり、周囲に悟られまいとするのは、脚を悪くしてまだ日が浅いからではないか。彼女は自分がこうした状態になってしまったことに納得できないでいるのではないか。ついこの間まで普通に乗っていた電車なのに、今はこうして車椅子と彼の手助けが必要な状態になってしまった。

人は自分自身が認めたくない事実を周囲に知られることを嫌う。彼は彼女のそうした気持ちを知り、彼女とは赤の他人のように振る舞った。

受け入れがたい現実

受け入れがたい現実がある。これはとても苦しいことである。彼は彼女のその受け入れがたい気持ちや周囲に知られたくない気持ちを尊重し、歩調を合わせた。私の目には男女が赤の他人のように見えたまさにその時も、二人は寄り添い合いながらゆっくりと歩んでいたのだ

受け入れがたい現実に苦しみながらも、彼女はそうした彼の存在にどんなにか助けられたことだろう。

そして彼は、彼女からこういう形で苦しみを打ち明けてもらえてどんなにか嬉しかっただろう。それは彼の車椅子を扱う時の丁寧さからもうかがえた。

もちろんこれらが事実かどうかを確認する術はない。しかしおそらくは大きく外れてはいまい。

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