
「タワマンはほぼ全部事故物件だ」という噂がまことしやかに語られることがある。建設中の高所作業で転落死した作業員が、どのタワマンにも一人はいるはずだ、というのだ(もっとも、建設中の事故は不動産取引における「告知義務」の対象外となるため、仮に事実であっても法的な意味での事故物件には該当しないようだが)。
厚労省の統計によれば、タワマンも含む様々な建設現場全体での転落死は全国で年間100人前後である。そして、その多くは安全管理にコストをかけられない小中規模の現場に集中しており(中小企業における労働災害防止の推進と労働安全衛生法)、タワマンを手掛ける大手ゼネコンの現場で起きる割合は極めて低い。ということで、データを見れば「タワマンはほぼ全部事故物件」というのはどうやら都市伝説である。
では、なぜ人々はこの噂を信じるのか。もちろん、超高額な住居に対するやっかみもあるだろう。その気持はわかる。しかし、理由はそれだけではないのではないか。
タワマンの高層階の生活領域は、地面からあまりにも遠く離れている。これほど高所で日常を送るという「自然の摂理に反した状態」に対し、人は無意識の内にアンバランスさや不安を覚えるのではないか。その浮き上がった不自然な状態を補償し、大地との繋がりを回復させるために、人々は「転落死した作業員」という幻影を作り出す。さらに、死者が向かう黄泉の国は、多くの場合、地下にある。上へ上へと伸びる塔のバランスを取るために、心理的な「下向きのベクトル」が働くのである。
あるいは、人間の領分を超えた不遜(ふそん)な巨大建築を作ってしまったという、原始的な畏れとも言える。「こんなものを作っては罰が当たる」というこの感覚は、古くから世界各地に存在する「人柱」の風習と繋がるものであろう。神や精霊の領域である高い空を侵犯し、そこを人間の居場所とするためには、命の対価を差し出さなければならないという、古代からの無意識のルールだ。
実際、東京タワー建設時の転落死者は公式には1人、東京スカイツリーに至ってはゼロである。しかし当時から「東京タワーで1人のはずはない」と囁かれ、現代のネット上でも「スカイツリーが死者ゼロのはずがない」と言われる。
スカイツリーという人間の技術の限界を超えたようなあの超巨大な塔が、誰の命も差し出すことなく完成したという事実は、もちろん素晴らしいと思う。しかし、やはり心のどこかで「そんなはずはない」と納得しきれない自分もいる。私の中の、『心の古層』がうずくのである。