
ネーミング絶賛ポエム
2022年6月16日。Internet Explorer(IE)の正式サポート終了に伴い、SNSは同アプリを惜しむ声で溢れかえった。
「IEで初めてインターネットに触れた」 「ありがとう、お疲れ様。ゆっくり休んでね」
インターネット黎明期を懐かしむ、感傷的な言葉が並ぶのは理解できる。しかし、以下の意見で覆い尽くされたことにおったまげた。
「『インターネットの海を探検する』って意味のエクスプローラー、あらためて考えると神ネーミングだったな」
「未知のネット世界への扉を『探検』と名付けたセンスは抜群だったよ。僕らの探検家」
「IEっていう名前だけは最高にクールだった」
これはジョークであろうか?インターネットエクスプローラーが登場した1990年代後半、このネーミングを称賛する声などほとんどなかったはずである。
同時代ブラウザのネーミング
「インターネット・エクスプローラー」という名前は致命的に長ったらしい。同時代に存在したブラウザと比較すれば、「ネットスケープ」「サファリ」「オペラ」。どれもすっきり端的にブラウザの役割をうまく表現している。ネーミングセンスも遥かに良い。
「エクスプローラーと言えばいいじゃないか」という反論はモノを知らなすぎる。エクスプローラーとはWindowsのファイル管理ソフトである。紛らわしいにも程がある。
「ファイル管理ソフトと名前が同じなのは、マイクロソフトがパソコンの中身とネットをシームレスに繋ごうとしたのだから当然だ」という擁護も無理がある。1990年代後半は、電話回線やISDNを使って「意識的に繋ぎにいかなければ」ネットに接続できなかった時代である。常時接続が存在しなかったのだ。シームレスな統合など、当時の環境を完全に無視したコンセプトであった。
では「IE」と略せばいいのか。文字で打つ分には問題ないが、口に出してみると「あい」と極めてキレのわるい発音になる。
つまり当時、インターネットエクスプローラーのネーミングを褒め称える要素はほぼなかったのだ。にもかかわらず、いざ開発が終わるとなると、SNS上は過去の不便さや歴史的背景をすっかり忘却した「ネーミング絶賛のポエム」で埋め尽くされた。ネガティブな声、もしくは感傷に浸りつつも、ネガティブことを混ぜる意見は見えなかった。
「両論併記」を消してしまうアルゴリズム
これが、現在のインターネット(SNS)の特徴のように見える。去りゆくものを美化し、感傷的なきれいごとを消費して同調し合う空間の中では、「いや、ノスタルジーは感じるけどネーミングは酷かったじゃん」などというめんどくさい意見は、どんどん見えない場所に押しやられてしまう。
100%礼賛の意見は、マトリックス上の一定の座標のなかにスッキリと収まる。しかし、両論併記・グレーゾーンのような意見は、そこで一定の座標を占めることがない。
今のネット空間(SNS)は、かつてのように自分の考えを吐き出す場所ではなくなった。発言の内容よりも「私は空気が読める優しい人間です(みんなと一緒だよ)」、あるいは「正義の味方だよ(私はあっちの愚かな連中とは違う)」などの単純化されたアピールの場となってしまった。
これは「探検」だろうか?
現在のSNSはこうしたアルゴリズムの元で運営されている。そこで活発に活動している人々は、このような仕組みによって飼いならそうとする力にさらされ続けている。そうして、配属された集団の意見に沿った分かりやすい意見を言うよう誘導され続ける。
そうした一面的な意見を言うことによって人々から「いいね」をたくさんもらい、知らず知らずのうちに、システムにラベリングされた意見を言うように調教される中で「自分の認識が事実かどうか」には興味を失ってしまう人々もいるように見える。
現実社会の建前以上に均質化されてしまったこんな空間を、私たちはこれからも「探検」し続けることになるのだろうか。