「傷つく」ということ

気持ちの表現はしばしば逆説的です。

たとえば、「私は怒ってるよ」と言ったとき、人はそれほど激しくは怒っていないことが多いのです。全く怒ってない場合さえあります。

「傷つく」という表現もそうです。

人は自分の心が傷つくと「傷ついた」と言ったり思ったりします。しかし、心が傷ついていても「傷ついた」とは思わない人がいます。

「傷ついた」と思えるのは、自分のことを「価値のある人間」だと思える人です。自分を大切にしていて、大切なものを傷つけられたと感じているのです。そして「傷ついた」と言ったり思ったりすることで、その傷つきをすでに癒し始めています。

反対に、自分のことを「価値のない人間」と思っている人は、「傷ついた」とは思わずに「自分が悪いせいだ」とか「罰を受けたのだ」と考えてしまいます。

なぜ、その人たちは自分のことを「価値のない人間」と思っているのでしょうか?

その答えは「すでに傷ついている」からです。深く傷つくことによって、人は自分のことを「価値のない人間」と思うようになります。「傷つく」とはそういうことなのです。

そして、傷ついている人がさらに傷ついたときには、自分が「価値のない人間」だという新たな証拠が見つかったと思ってしまうのです。こうして、深く傷ついている人ほど傷ついたことに気づかないで、「傷ついた」という言葉さえ生易しいくらいの深い傷を負っていく。

そういう人たちは、傷ついた時に「傷ついた」と考えるのを甘ったれた恥ずかしいことのように感じているかも知れません。あるいは「傷ついた」という言葉で過剰に他人を攻撃する人々のことを想像するのかも知れません。

人の感じ方はそう簡単には変わりません。また、世の中から「傷つき」を無くすことも不可能でしょう。しかし、自分のことを「価値のない人間」と感じた時に、この状態を「傷ついた」と表現することもできるのだということ。とりあえずはこのことを知っておくのはどうでしょうか。

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