「風の歌を聴け」考察①・「僕」がついた唯一の嘘とは

目次

唯一の嘘とは

34章には「仏文科の女の子」に「僕」が「嘘つき!」と言われるシーンがあります。この「嘘つき!」は小説内で太字にされている2箇所のうちの1つで、全体的にあっさりとしている中で比較的異質な箇所と言えます。

以下に引用してみます。「女の子」のセリフを赤文字、「僕」のセリフを青文字にしました。

「ねえ、私を愛してる?」
「もちろん。」
「結婚したい?」
「今、すぐに?」
「いつか…..もっと先によ。」
「もちろん結婚したい。」
「でも私が訊ねるまでそんなこと一言だって言わなかったわ。」
「言い忘れてたんだ。」
「…子供は何人欲しい?」
「3人」 
「男?女?」
「女が2人に男が1人」

彼女はコーヒーで口の中のパンを嚥み下してからじっと僕の顔を見た。


嘘つき!


と彼女は言った。
しかし彼女は間違っている。僕はひとつしか嘘をつかなかった。

「風の歌を聴け」村上春樹 講談社文庫 P128~129(色分け・丸数字・下線付加はページ作成者)

「僕はひとつしか嘘をつかなかった。」とありますが、そのたったひとつの嘘とは①~⑤の中のどれでしょう?

実は、これについて触れている論文は意外に少ない上に、かなり難しい謎なのです

①「もちろん」

この答えを選んだ人は多そうです。鈴木忠士氏は1996年の論文で

「僕はひとつしか嘘をつかなかった」と言うが、それは「私を愛してる?」という問いに対する「もちろん」という「僕」の返答のことにちがいない。「今」の「愛」については「嘘」か本当かが問題になりうるが、「もっと先」の「結婚」や「子供」については、願望を語っているにすぎないとも言えるのだから。

鈴木忠士「村上春樹『風の歌を聴け』ー分身の輪舞ー(1)」1999.6 岐阜経済大学論集

と言います。「愛してる」は今現在のことだから嘘か本当かが明確になるが、それ以外は未来のことだから嘘とは言えないということです。

私見ですがこうも言えます。「私を愛してる?」「結婚したい?」「子どもは何人欲しい?」「男の子?女の子?」の中で相手が明確なのは「私を愛してる?」だけで、他は「いずれ誰かと結婚して子供が欲しい」という意味だから嘘じゃないと言い張ることが可能だと。

②「もちろん結婚したい」

これが唯一の嘘だとすると「愛してるけど結婚はしたくない」ということになります。ただ、このようなメインテーマになりそうな事柄なのに根拠がないというのも不自然な気もします。

③「言い忘れてたんだ」

実は①「もちろん」②「もちろん結婚したい」のどちらかを嘘とする仮説には重大な欠陥があります。つまり二つセリフのうちのどちらかが嘘だとすると、その後の「言い忘れてたんだ」も嘘になってしまって嘘は二つになってしまう。

ということは唯一の嘘とは、③「言い忘れてたんだ。」になるでしょうか。

ところが、それにも反論ができるのです。

以下、小指のない女の子がビーフシチューをつくってくれた時の会話です。「僕」はここでも問い詰められています。

「おいしかった?」
「とてもね」
彼女は下唇を軽く噛んだ。
「何故いつも訊ねられるまで何も言わないの?」
「さあね、癖なんだよ。いつも肝心なことだけ言い忘れる。」
「忠告していいかしら?」
「どうぞ。」
「なおさないと損するわよ。」
「多分ね。でもね、ボンコツ車と同じなんだ。何処かを修理すると別のところが目立ってくる。」

村上春樹「風の歌を聴け」 講談社文庫 P89(色分けはページ作成者)

③「言い忘れてたんだ。」が嘘だとすると、ここの「さあね、癖なんだよ。いつも肝心なことだけ言い忘れる。」「ポンコツ車と同じなんだ。何処かを修理すると別のところが目立ってくる。」も嘘だということになってしまいます。同じパターンの会話と付加的な説明があるのに、「言い忘れてたんだ。」を嘘とするのは無理があるのではないでしょうか。

実際、「僕」 は子供のころにあまりにも無口だったために、精神科医のところに通わされていた人です。14歳の時に堰を切ったように話し始めたとのことですが、「肝心なことだけ言い忘れる」癖がまだ残っていても不思議ではないのです。

そして、「肝心なことだけ言い忘れる」が本当ならば、①「愛してる」②「結婚したい」がその「肝心なこと」に当たり、その意味でもそれら①②とも嘘ではないということになります。

④「3人」

もし、子どもが欲しくないと思っているなら、次の⑤「女2人、男1人」も嘘になりますので、嘘が二つになってしまいます。ちなみに、3作目の「羊をめぐる冒険」では離婚した妻から、その後ジェイからも子供について訊かれて、「欲しくない」と答えています。しかし、「羊をめぐる冒険」は別の作品ですから、そこに根拠を求めるのも違う気がします。

⑤「女2人、男1人」

たとえば「本当は子供は3人とも女がいい」と思っているのに、「女2人、男1人」と答えたのなら嘘になりますが根拠はありません。しかし「嘘じゃない」という根拠もありません。

嘘はない?

「ひとつしか噓をつかなかった」を信じるなら、①〜④のセリフは『嘘じゃない根拠』があります。ただ、⑤「女2人、男1人」だけが『嘘じゃない根拠』がありません。

でも、嘘だという根拠もないのね

しかも女2人、男1人が嘘だとしてもどうでも良くない?自分の意志ではどうにもならないことだし。

そうなんです。些細な嘘です。ひょっとして作者は「どれが嘘かなんてどうでもいい」と思っているのでしょうか。そうした懸念を抱きつつも、もう少し粘って、二人の会話をさかのぼります。

2人のやり取りをさかのぼってみる

以下に引用するのは、最初の引用の直前です。

彼女は裸のまま起き上がり、冷蔵庫を開けて古いパンをみつけだし、レタスとソーセージで簡単なサンドウィッチを作り、インスタントのコーヒーと一緒にベッドまで運んでくれた。それは10月にしては少し寒すぎる夜で、ベッドに戻った時には彼女の体は缶詰の鮭みたいにすっかり冷えきっていた。
「芥子(からし)はなかったわ。」
「上等さ。」
僕たちは布団にくるまったままサンドウィッチを齧りながらテレビで古い映画を見た。
「戦場にかける橋」だった。
最後に橋が爆破されたところで彼女はしばらく唸った。
「何故あんなに一生懸命になって橋を作るの?」彼女は茫然と立ちすくむアレック・ギネスを指して僕にそう訊ねた。
「誇りを持ち続けるためさ。」
「ム…。」彼女は口にパンを頬ばったまま人間の誇りについてしばらく考え込んだ。いつものことだが、彼女の頭の中でいったい何が起こっているのか、僕には想像もつかなかった。
「ねえ、私を愛してる?」

村上春樹「風の歌を聴け」 講談社文庫 P127~128(色分け・丸数字・「芥子」のよみがな付加はページ作成者)

⑦「誇りを持ち続けるためさ。」

⑥の前にこちらを片付けましょう。これは「僕」 自身のことではないので、嘘と考えるのは不自然です。また、「戦場にかける橋」のストーリーからしてみても、誇りを持つために頑張って橋を作っているという読みは比較的スタンダードなものです。

⑥「上等さ。」

実はこの「上等さ。」こそが唯一の嘘であるとする論文が存在します。石倉美智子氏は1994年の論文の中で、『主人公は内面の空虚さを抱えており、それを満たすものの比喩として、料理は非常に重要なポイントに位置づけられている』として、YWCAの前で「僕」が小指のない女の子を待つ間に冷蔵庫の広告を見ているシーンを挙げています。このシーンです。

フリーザーには氷と1リットル入りのバニラ・アイスクリーム、冷凍エビのパック、二段めには卵のケースとバターにカマンベール・チーズ、ボーンレスハム、三段めには魚と鶏のもも肉、一番下のプラスチックケースにはトマト、キュウリ、アスパラガス、レタスにグレープフルーツ、ドアにはコカ・コーラとビールの大瓶が3本ずつ、それに牛乳のパックが入っていた。
僕は彼女を待つ間、ハンドルにもたれかかったまま冷蔵庫の中身を平らげる順番をずっと考えてみたが、何れにせよ1リットルのアイスクリームはいかにも多すぎたし、ドレッシングの無いのは致命的だった。

村上春樹 「風の歌を聴け」 講談社文庫 P124~125

冷蔵庫の中身は豊かです。しかし主人公は「ドレッシングが無いのは致命的」と言っています。ドレッシングが無くても、塩をかければトマトもキュウリも食べられますし、塩とバターがあれば卵料理も出来るはずですが、これを「致命的」と言ってしまう「僕」は確かに料理についてかなりのこだわりを持っているようです。

したがって、石倉氏の論文を引用すると・・・

チャプター34で「僕」のついた嘘とは、サンドウィッチに使う「芥子」がないという彼女に対して、「上等さ。」と言ったことだということになる。

石倉美智子『風の歌を聴け』論 ー「霜取りをしなければならない古い冷蔵庫」としての「僕」ー 1994.01 専修国文 

でも、バターやマヨネーズが無いのならともかく、芥子(からし)はそんなにサンドイッチを作るのに重要なものかな?

そうだよね。
それに「上等さ。」って「芥子がなくても上出来だよ。」という意味で言っているんじゃない?ねぎらいの言葉というか。

たしかに「上等さ。」を嘘と呼ぶのは無理がある気もします。真実ではないから嘘とギリギリ言えなくもない程度でしょうか。

それに「上等さ。」と言ったのは映画を見る前で、「戦場にかける橋」の上映時間は161分だから、「嘘つき!」と言われる2時間半も前の言葉だよ。

そうなんです。「上等さ。」は時間的に前すぎて彼女の言う「嘘つき!」の対象外なんです。

このように⑥「上等さ。」は時間的に遠すぎる上に彼女に対するねぎらいの言葉でしょうし、⑤「女2人、男1人」も、嘘であろうがなかろうがほとんど問題はありません。男女の産み分けは出来ないのですから。

となると、ここで「僕」は「嘘なんてついていないよ」という意味で「ひとつしか嘘をつかなかった。」と言った可能性が浮上します。「嘘なんて言ってないよ。あえて真実じゃない言葉があるとするならばそれ(⑤もしくは⑥)くらいだよ」と。

また、1つでも嘘をついたら「嘘つき!」と言われても間違いではないはずですが、それに対して「僕」が「しかし彼女は間違っている。」と言っていることも、その嘘が嘘とはいえないくらい些細なものであることを意味していると思われます。

章の冒頭について

僕の嘘が些細なものだったとすると、このエピソードのある34章がこんな風にして始まってるのはどう考えたら良いのでしょう。

 34

僕は時折嘘をつく。
最後に嘘をついたのは去年のことだ
嘘をつくのはひどく嫌なことだ。嘘と沈黙は現代の人間社会にはびこる二つの巨大な罪だと言ってもよい。実際僕たちはよく嘘をつき、しょっちゅう黙り込んでしまう。

村上春樹 「風の歌を聴け」 講談社文庫 P126~127(下線はページ作成者)

「最後に嘘をついたのは去年のことだ」と言って、その直後に出てくるのが「嘘つき!」と言われたエピソードです。なのでその去年ついた嘘とは、①~⑦までのセリフのどれかのはずですが・・・

「嘘と沈黙は現代の人間社会にはびこる二つの巨大な罪」ってなんだかすごく大げさな気がする・・・

そうなんです。仮に「ねえ、私を愛してる?」への「もちろん。」が嘘だったとしても、その嘘が「人間社会にはびこる二つの巨大な罪」の一例と呼ぶのは大上段に構えすぎていて滑稽な印象があります。そしてまた、石原千秋氏が指摘しているように(「謎とき村上春樹」2007.12)、実は「最後に嘘をついたのは去年のことだ」も嘘なのです。

以下の引用は先ほど引用したのと同じ「小指のない女の子」がビーフシチューを作ってくれた日の1シーンです。

僕たちは彼女のプレイヤーでレコードを聴きながらゆっくりと食事をした。その間、彼女は主に僕の大学と東京での生活について質問した。たいして面白い話ではない。猫を使った実験の話や(もちろん殺したりはしない、と僕は嘘をついた。主に心理面での実験なんだ、と。しかし本当のところ僕は二カ月の間に36匹もの大小の猫を殺した。)、デモやストライキの話だ。

村上春樹 「風の歌を聴け」 講談社文庫 P88(下線はページ作成者)

このように「僕」が嘘をついたのは去年どころか、つい一週間前のことです。さらにその一週間前には、「グレープフルーツのような乳房をつけ派手なワンピースを着た30歳ばかりの女」に「私って幾つに見える?」と訊かれ「僕」は「28」とか「26」とか答えています。だから、このあたりの「僕」 の言葉は信用できないのです。「嘘と沈黙は現代の人間社会にはびこる二つの巨大な罪だ」などとも思っていないのです。

つまり、34章は、「僕」が嘘をついたエピソードではなく、「僕」にしては珍しいくらい正直に話しているのに、「嘘つき!」と言われてしまったエピソードなのです。表現されているのは、人と人との分かり合えなさなのです。

彼女は「嘘つき!」と言ったが、「僕」は一つしか嘘をついていない。その一つの嘘もごく些細なものであること、これによって「僕」と彼女のあいだの距離が描かれているのです。それに加えて、たった一つの嘘がどれかを読者にも伏せられていることから、「僕」と読者のあいだの距離も作り出されているとも言えます。

「人と人との距離」はこの小説の一貫したテーマなのです。

しかし、そのような一貫したテーマがある一方で、唐突に自分と相手の区別がつかなくなったような表現が出て来るのがこの作品の面白い所で、34章の冒頭もそうした表現の一つとも言えます。しかし、この記事のテーマから大きく外れてしまうので、これに関しては別の機会に触れようと思います。

また、この「嘘つき!」で終わる会話を彼女の自殺と結び付けて考える評論がいくつかあります(田中実「数値のなかのアイデンティティー『風の歌を聴け』ー」「日本の文学」第7集 1990.6/石原千秋「謎解き村上春樹」2007.12)。特に石原千秋氏はこの会話が彼女の死の直前であるかのようにとらえている節がありますが、実際は半年前の会話です。そうしたことからも、彼女の自殺はこの会話とはほとんど関係がないと私は考えていますが、これについては以下で解説しました。

まとめます

先ほども述べたように、この小説には一貫して人と人との距離が描かれています。この34章も同様です。そのため、どれが嘘かはあまり重要なことではありません。大事なことは、「僕」はほぼ正直に話したつもりだったが、彼女から「嘘つき!」と決めつけられたということです。

しかし、『「僕」 がついた嘘とは?』が記事のタイトルですので、どれが嘘かを決めましょう。

「僕」 のセリフを作品中に出てきた順に並び替えてまとめてみました。

「僕」のセリフ嘘か否か、とその理由
「芥子(からし)はなかったわ」に対する「上等さ。」嘘かも。
食べ物に関する「僕」のこだわりに反しているから。
しかし、彼女に対するねぎらいの言葉であるとも考えられ、嘘と言えなくもないといった程度。
「何故あんなに一生懸命になって橋を作るの?」に対する「誇りを持ち続けるためさ。」嘘ではない。
そもそも「僕」 自身のことではないので、「嘘」とも「真実」とも言えない。
「私を愛してる?」に対する「もちろん。」嘘ではない。
これが嘘だとすると③「言い忘れてたんだ。」も嘘になるから、「唯一の嘘」にならない」。
また、別の章で「肝心なことを言い忘れる」と説明もしており、「愛してる」はその肝心なことと考えられるため、嘘ではない。
「いつか結婚したい?」に対する「もちろん結婚したい。」嘘ではない。
これが嘘だとすると③「言い忘れてたんだ。」も嘘になるから、「唯一の嘘」にならない。
別の章で「肝心なことを言い忘れる」と説明もしており、「愛してる」も「結婚したい」も、その肝心なことと考えられるため、嘘ではない。
「でも私が訊ねるまでそんなこと一言だって言わなかったわ。」に対する「言い忘れてたんだ。」嘘ではない。
別の章で同じような会話があり、説明が加えられているから嘘ではない。
「…子供は何人欲しい?」に対する「3人。」嘘ではない。
これが嘘だとすると、⑤「女2人、男1人。」も嘘になるから「唯一の嘘」にならない。
「男?女?」に対する「女2人、男1人。」嘘の可能性はゼロではない。
直近のやりとりの中で唯一の【嘘ではないという根拠が見つからない】セリフだが、嘘だという根拠もない。
ただ、男女の産み分けはできないということで、希望と現実が連動しない唯一の事柄ではある。

根拠の存在を優先して選ぶのならば石倉美智子氏の言う「上等さ。」でしょう。この記事ではこれを「唯一の嘘」とさせていただきます。

しかし、芥子(からし)の入っていないサンドイッチが「僕」のこだわりに反しているとしても、「上等さ。」を「嘘」というには無理があることや、「嘘つき!」から時間的に離れすぎていることを重要視するならば、根拠はありませんが消去法で選び出すことのできる「女2人、男1人。」が唯一の嘘という考えも否定しきれません。

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