
最近、Xを見ていたら「ADHDは好きになる努力をしろ」という内容の記事が載っていた。有料記事に誘導されるので、その記事を全部読んだわけではないのだが、思うところがあるので言葉にしてみたい。
この記事の言い分としては……
ADHDは好きなものには徹底的に没頭できる。しかし、嫌いなものはとことん出来ない。ならば、自分にとって生きるために必要なものを好きになってしまえば良い。「好き」を操ることができれば無敵だ。その方法を有料記事に書いてあるよ、
……と、いうことらしい。
数百円の記事だし、参考程度に面白がって読むのは全然OKだとは思う。しかし、ここにあるのは、思いっきり時代に逆行する考えではなかろうか。
そもそもADHDの人々とは、興味のないこと、スリルがないこと、単調なことが出来ないから苦労している人々なのだ。そしてその理由は、「そうしたことを楽しいと思えるような脳内物質が分泌されないから」であって、ワガママだとか、堪え性がないだとか、幼いだとか、そういう理由ではない。
要は「好き」を操れないから苦労しているのだ。つまらないことを楽しめる努力をしろと言われても、そのための脳内物質が出ないのだ。楽しいことだけに集中する能力は高いが、楽しくないことには全く集中できない、とはそういう事情だったはずだ。
「だからこそ好きを操れるようになれば無敵じゃないか」と思う人はいるかも知れない。しかし、「好き」を操ることがもともと得意なのはADHDじゃない人の方だ。ADHDの人からみたら、彼らは「好き」を操る天才的な素質があるのだ。つまらない仕事であってもそれを「好き」になれる脳内物質がちょっとずつ出ている、そんな恵まれた体を持っているのが彼らなのだ。
ADHDの人が「嫌なことを好きになろう」とすることは、そういう自分の最も苦手な土俵で、ADHDじゃない人とのガチンコ勝負を挑みに行くことなのだ。
「やるべきことをやれない」という行動の挫折に加えて、「それを好きになれない」という感情の挫折まで背負い込む必要はない。必要なのは、嫌なことから可能な範囲で逃げ、外部の仕組みや環境を工夫することから始めることだ。
これが、ごくごく普通の言葉で言うと、「環境調整」というものなのである。